ブログ15 【書き下ろし】 シリーズ「乗ったで降りたで静岡清水線」 新静岡駅 その4(2026年8月記)

書き下ろし
タイトルカット 美保の松原と富士山(美保の松原は静岡市清水区です)

静鉄静岡清水線の全駅ルポ。起終点の新静岡駅は今回が4回目のラストです。

駅周辺は静岡市一番の繁華街。完全な〝ご当地ネタ〟ながら、最近ちょっと話題になったのが、国税庁が7月1日に発表した2026年路線価です。


47年ぶりのトップ交代


相続税や贈与税、固定資産税の算出基準になる路線価。静岡市内(=静岡県内)最高額は昨年までずっと「葵区紺屋町」だったのが、今年は「同区呉服町通り2丁目」がトップに立ちました。

路線価第一位の呉服町界わい。ご覧のように大型の施設はなく、街歩きでお気に入りのショップを見付けたくなります


47年ぶり(36年ぶりとするメディアもあります)の首位交代、地元ではその話でもちきり……っていうことは全然なし。静岡市民ならずとも、「紺屋町名店街呉服町通り(紺屋町の正式名)」と「呉服町通り」、一体どこが違うの?が正直なところのようです。


紺屋町と呉服町はお隣同士で、JR静岡駅から見ると呉服町の方がちょっと奥(北側)になります。路線価は、「令和8年分財産評価基準書」でネット検索すると誰でも見られます。呉服町通り2丁目は1㎡当たり120万円でした。


移住したばかりの私は当然、静岡事情にまったくうといのですが、マスコミによると、「紺屋町にある『静岡PARCOバルコ』が来年1月に撤退。周遊する人が減少しそうとの観測が影響したのではないか」ということです。


調べてみると、静岡パルコ開店は2007年3月。約20年で歴史を終えることになります。パルコといえば「ナウいトレンディショップ」として有名でしたが、今やナウいもトレンディショップもほとんど死語。パルコの撤退後がどうなるかはこれからのようです。


紺屋町に代わってトップに立った呉服町、東京資本の百貨店などはあるものの、通りの両側はほとんどが飲食店、服飾雑貨、生活雑貨、ドラッグストアといった一般商店。これといった中核店はありません。そこが静岡らしいというか、私はトップ交替を好感度で受け止めました。 


呉服町、両替町、人宿町……


ところで、当ブログを書くうちに気付いたこと。静岡市には呉服町、紺屋町、鷹匠町、両替町、人宿町ひとやどちょうと、土地のルーツがよく分かる町名が残ります。


そういえば道路形状も独特。拙宅前を走る安倍街道(静岡県道)や国道1号線(旧東海道)のような東西南北方向の幹線道路ばかりでなく、東京のJR山手線のような環状道路も市内中心部にあります。環状道路は、駿府城跡を囲むように張りめぐらされます。

静岡で暮らしてまだ2カ月ですので正確とはいえませんが、幹線道路は新道、駿府城を囲むのは旧道のように思えます。それぞれの道路は沿道にも違いがみられます。このあたり、追々レポートしたいと思います。


新静岡駅の周辺散策、呉服町から少し戻る形になりますが、駅北側(北西側)にあるのが静岡県庁と静岡市役所です。安倍街道を挟んで東側に県庁、西側に市役所が向かい合います。

県庁前の横断歩道から静岡市役所の本館と(右)と新館をのぞみます。市役所は新館3階に食堂があり、職食(=職員食堂?)らしからぬ静岡の味も楽しめます


県庁は本館、西館、東館、別館の4棟。市役所は本館と新館の2棟があります。


お勧めは県庁別館、最上階21階の「富士山展望ロビー」。予約不要・無料で(もちろん県庁の開庁時間ですが)、ネーミングの富士山(富士山こそ静岡県民のアイデンティティ?)はともかく、眼下には静岡市の中心街が広がります。

静岡県庁21階の富士山展望ロビーから眼下の駿府城公園を見下ろします。公園の大きさとともに豊かな緑に目を奪われます。左上部分が21世紀の発掘エリアです


ここで駿府城のミニヒストリー。駿府城というと徳川家康を思い浮かべますが、城を築いたのは江戸時代以前、室町時代の今川氏です。居城は「今川やかた」と呼ばれました。


今川館で、幼少期に約12年間の人質生活を過ごしたのが家康です。織田信長vs今川義元が1560年の「桶狭間の戦い」。今年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」でも、序盤のハイライトでしたね。


桶狭間後に人質生活から解放され、戦国大名として力を付けた家康は駿府に侵攻。信長から駿河国を与えられます。家康は今川館の跡地に駿府城を築城しますが、完成直後に豊臣秀吉から、関東に国替えを命じられます(大河ドラマではこれからです)。


その後、関ケ原の戦いなどを経て文字通りの天下人になった家康は1606年、将軍職を2代目の秀忠に譲って駿府城に戻り(これぞ元祖シニア移住?)、当地で晩年を過ごします。1616年、駿府城で生涯を終えました。


21世紀の発掘調査で歴代駿府城の位置関係が判明


駿府城址は戦後、市民公園として本格的に整備。1949年に中央公園として再生計画がまとまり、市民アンケートで「駿府公園」と命名されました(その後、現在の名称に)。

駿府城公園は旧城の本丸と二の丸跡を中心に整備されました。サクラをはじめとする、四季折々の草花がふじのくにの豊かな自然を彩ります。


公園は戦国から江戸時代の歴史を今に伝え、大名庭園の「紅葉山公園」や子ども向け遊具のある広場など見どころいっぱいです。


最近の話題は、2016~2022年の天守台発掘調査。駿府城は明治時代に廃城になって天守閣は取り壊し。石垣造りの土台だけが残りましたが、静岡市は発掘調査。調査結果は2022年3月、報告書の形で公表されました。


新聞のバックナンバーをめくると、21世紀の発掘で従来は不明点もあった歴代駿府城の正式な位置関係が判明。江戸時代に家康が築いた天守閣、一代前の安土桃山時代の天守閣や今川家の屋敷と同じ場所にあったことが分かったそうです。


発掘に当たった静岡市、当面は天守台の復元は目指さず、発掘跡を保存して見学路などを整備する方針とのことです。


今回紹介した、紺屋町→呉服町→静岡市役所→静岡県庁→駿府城公園は所要時間でトータル1時間強といったところ。猛暑日の8月は避けた方がベターかもしれませんが、秋になって涼しくなってからルートをたどれば、今の静岡と江戸時代の駿河がつながり、街をもっと好きになるかもしれません。

静岡清水線完乗ルポ、次回からいよいよ列車が発車、各駅の紹介に移ります。ぜひご覧ください。

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