
今回と次回は古庄駅です。所在地は静岡市葵区古庄。地名=駅名です。開業は1908年。路線開業時から駅が設けられていました。
(古来からの)荘園が地名に。そういわれれば駅北側は前駅・長沼までの山が切れて平地が広がります。人々の往来が盛んな東海道の沿道で、江戸時代には人気の茶店があったそう。餅が名物だったとの史話が伝わります。
長沼との駅間距離は700m。柚木~長沼は1.1㎞ありましたが、再び1㎞を切りました。
2024年駅改良で北側駅舎と改札を新設
古庄駅のスペック。静岡清水線としては標準的、線路の両側に上下線それぞれのホームがある2面2線です。
ただし、少々変則的なのは上下線双方、南北両側に駅舎がある点。構内踏切はないので反対側ホームにはいったん改札外に出ないと行かれません。
古庄駅は比較的最近の2024年1月、大幅改良されました。従来は駅南側だけに駅舎と改札があり、新清水方面ホームの降車客は構内踏切を渡って改札を抜け、駅外に出なければなりませんでした。

一昨年の駅リニューアルでは、北側の下りホームに駅舎と改札が新設され、新静岡方面から到着した乗客はそのまま駅外に出られるようになりました。
静鉄は2023年12月、「古庄駅のバリアフリー化工事完了」のタイトルで駅改良をリリースしています。
静岡農高の通学生に朗報

古庄駅と同様、上下線の駅舎と改札が別々で構内通行では反対側ホームに渡れない駅、記憶をたどれば東京メトロ銀座線末広町駅が思い浮かびました。
地下鉄には踏切がないので当然といえば当然ですが、例えば渋谷方面に向かう乗客が間違って浅草方面ホームに入場したら、駅員さんに断っていったん駅外に出なければなりません(私も経験ありますが、事情を話せば対応してもらえます)。
古庄駅近隣(北西側)には、生徒数約600人の静岡県立静岡農業高校(静岡農高)があります。駅改良まで、静岡市中心部方向からの通学生は踏切を2回渡って登校しなければならず、駅改良は朗報になったはず。

ネット情報では、駅近隣の障がい者自立センターが静鉄との情報交換で、新駅舎の供用開始前に駅を体験したとの記述も見付かりました。
鉄道会社の金看板・地域密着。古庄では合格点があげられそうですが、静鉄にはまだまだ不十分な駅もあります。
少々固くなりますが、静鉄は今年6月「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律」(略称・バリアフリー新法)に基づき、2025年度実績と2026年度計画を公表しています。
これまで本ブログでルポした駅では、柚木駅で上下線ホームを結ぶ地下道の廃止やスロープ、多目的トイレの整備が打ち出されています。
戦時中は東急傘下に入り五島慶太が社長に
古庄は静岡農業高校最寄り駅ということで、静岡の農業事情を探ろうと思ったのですが、スペースの関係で次回に先送り。今回はブログ6以来約3カ月ぶりで、静鉄の歴史をひも解きます。
前回の簡単なおさらい。線路幅762㎜のいわゆる軽便鉄道として開通した旧静岡鉄道、明治末期に営業運転をスタートさせました。
初期は、東北から九州まで全国に軽便ネットワークを張りめぐらせた大日本軌道の「静岡支社線」を名乗ったことも。しかし、時代が明治から大正に変わるころ、軽便の限界もみえてきました。
問題になったのは蒸気機関車。SLは非力な上、蒸気圧が上がって本線走行できるのに時間が掛かり非効率です。
一般鉄道への改軌と電化はほぼ並行して進められたようで、1920年には単線電化が完成。電車運転が始まりました。
会社は地元資本の静岡電気を経て1923年、静岡電気鉄道に社名変更。明治から大正期、電力会社が鉄道事業を兼業するのが一般的で、特に関西エリアに多くの事例がみられました。
電化に続くのは複線化です。1924年にはトップを切って鷹匠町(現・新静岡)~きよみず公園(音羽町)間で線増。時代が昭和に変わった1934年までに、着工から10年を要した鷹匠町~江尻新道(新清水)間11.0㎞全線の複線運転が始まりました。
複線化に当たっては、上原(狐ヶ崎)~入江町(入江岡〈ただし入江町、入江岡の位置は異なるようです〉)間で、2回にわたり東海道線をまたいでいた線形の改良なども進められ、戦前のうちに都市間鉄道としてのアウトラインが固まりました。
静鉄は静岡清水線1路線だけ。営業キロ11㎞のミニ私鉄ながら、21世紀の現代に生き残れたのは、創業期のうちに複線電化の一般鉄道という基礎条件を満たしたからという見方もできるでしょう。
そして、ブログ34の「藤枝鉄道博」で触れた戦時統合。戦時体制の一環として1938年に陸上交通事業調整法が施行され、国は地方鉄道やバス会社の経営統合・事業譲渡を促して、経営合理化を進めました。
太平洋戦争開戦直前の1941年には東京横浜電鉄(現・東急電鉄)社長で、〝昭和の鉄道王〟こと五島慶太が静岡電気鉄道社長に就任。藤相鉄道、中遠鉄道、静岡乗合自動車、静岡交通自動車の4社を経営統合して1943年、現代につながる静岡鉄道が誕生しました。
少々強引な手法で経営統合を繰り返し「大東急」を形成し、〝強盗慶太〟の異名を持つ五島慶太。静岡にもしっかり足跡を残していました。
今回はここまで。静鉄史はTo be continued……。

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