ブログ37 【書き下ろし】  平和への思い込めた「シャングリ・ラ鉄道」 鉄道模型界のレジェンド・故原信太郎さんを「藤枝鉄道博」で知る(2026年9月記)

書き下ろし
タイトルカット 拙宅近くを走る国道1号線静清バイパス。静岡と清水、そして東名間、東阪間をつなぐ人流・物流の大動脈です

(10月への月替わりにタイトルカットとアイキャッチ画像を変更しました。タイトルカットは拙宅近くの国道1号線静清バイパス、アイキャッチ画像は固定ページ掲載の無料生成AI自画像です。自称「ピノキオのゼペットじいさん」〈笑〉。気に入ってます)

静岡県藤枝市の藤枝市郷土博物館・文学館で、10月12日まで開催中の企画展「藤枝鉄道博」レポート後編です。

前回ブログの「藤枝の鉄道遺産展」と並ぶ目玉が、「原信太郎はらのぶたろう鉄道模型展」。鉄道博パンフレットに「鉄道模型の神様」とうたわれる、原さんの架空の鉄道名は「シャングリ・ラ鉄道」です。

理想郷を表すシャングリ・ラ。そこには、日本と海外の列車が国境を越えて同じレールを走るような、平和な世界を願う原さんの思いが込められていました。

藤枝鉄道博会場では在りし日の原さんがモニター映像で来館者をお出迎え。原さんは2012年7月の原鉄道模型博物館オープニングで、「長年、好きで続けてきた鉄道模型で皆さんの役に立てることは非常にうれしい」と喜びを語りました

取得した技術特許300件 

海外では〝紳士の趣味〟と呼ばれる鉄道模型。その界わいでレジェンドと呼ばれるお一人が原信太郎さんです(本ブログは原さんのお人柄に触れた者として、親しみを込めて「さん付け」で書かせていただきます)。 

原さんは1919年東京生まれ、2014年7月に95歳で亡くなりました。原さんの膨大な模型やコレクションを収蔵するのが、横浜市みなとみらい21地区の「原鉄道模型博物館」。2012年の開館から14周年を迎えました。

原さんは、原鉄道模型博物館の開館時は存命で初代館長を務めました。

模型の前に企業人としての原さん。慶応高等部出身の慶応ボーイですが、卒業したのは東京工業大学。戦前の慶応義塾には、工学系学部がありませんでした(今は理工学部があります)。

入社したのは、事務機メーカー・コクヨ。常務、専務、グループ企業・コクヨメーベル代表取締役などを務めました。

コクヨでは、立体自動倉庫やオフィス家具自動製造ラインの開発に携わり、300件を超す技術特許を取得した根っからの技術屋です。自動倉庫には鉄道信号理論を応用したという逸話もあります。

 

いかにも宣材写真調ですが、これが横浜の原鉄道模型博物館。レールの総延長はおよそ450m。日本と世界を代表する鉄道車両およそ1000両が走り回ります(画像・原鉄道模型博物館)

模型が本物を生んだJR九州の「或る列車」

鉄道(模型)人としての原さん。戦前の話、東京・品川の鉄道車両基地に毎日のように電車を見にくる子どもがいました。3歳児の原さんです。

入出区する電車を眺め、駅員に電車のリベット(昔の鉄道車両のボディーを止めていたネジのアタマ状の金属部品)についてレクチャーして、驚かれたこともありました。 

現代の鉄道模型は、本物の150分の1サイズのNゲージ(線路幅9㎜)と80分の1サイズのHOゲージ(16.5㎜)が主流。

その点、原さんの模型は大型の32分の1サイズ1番ゲージ(45㎜)でした。今のように豊富な部品はありません。台車もパンタグラフもレールも、すべて手づくりでした。

  

藤枝鉄道博で公開された原さんのコレクション。SLあり、ELあり、模型製作時に当然ネットはなく、資料も不十分で、不明な点は想像力(創造力)で補いました

原さんをめぐるエピソードは尽きませんが、本ブログがビックアップしたのが「或ある列車」です。

JR九州は2015年、新しい観光列車として「或る列車」を登場させました。発想の原点は原さんが製作した同名模型の「或る列車」。戦前の客車列車です。

ストーリーは半ば伝説化されますが、もとは九州鉄道がアメリカに発注した豪華列車です。ところが日本への到着時、九州鉄道は国有化され、一度も営業運転されることなく車庫に留置されたままになりました。

「九州鉄道ブリル客車」が発注時の名称で、やがて鉄道ファンの間に自然発生した「或る列車」と呼ばれるようになりました。

行き場を失った列車は、1両ずつ切り離されて、各地に事業用車(社用車)として配置されました。関東では東京・田町の操車場に配備され、少年時代の原さんがスケッチ。模型を製作するきっかけになりました。

原さんが「或る列車」の模型を完成させたのは、比較的最近の2000年。というのも、ステンドグラスの再現などに長い月日がかかったからです。

物語は続きます。JR九州の青柳俊彦会長(前社長。2012年当時は社長就任前)は、オープン間もない原鉄道模型博物館を訪れて、「或る列車」に心を動かされます。観光列車として〝2代目或る列車〟の製作を決断したのでした。

原丈人館長(中央)を囲む原健人副館長、加藤好文京阪ホールディングス(HD)会長、(1人おいて)青柳JR九州会長、原田一之京浜急行電鉄会長=写真左から=(2024年7月の原鉄道模型博物館12周年記念セレモニーで。役職はいずれも当時。画像・原鉄道模型博物館)

日本と世界の車両が並ぶ理想郷の鉄道 

レジェンド・原さんが設立した(製作した)架空の鉄道会社の社名は「シャングリ・ラ レイルウェイ」。横浜の博物館のジオラマも同名です。

ご存じの方も多いでしょう。シャングリ・ラは、イギリスの小説家のジェームズ・ヒルトンが1933年に発表した「失われた地平線」に登場するユートピア(理想郷)の名です。

原さんの長男で、現在館長を務める原丈人じょうじさんは、信太郎さんが鉄道名に込めた思いをこう解き明かします。

鉄道趣味の世界で、ベテランファンがユートピアとは反対の「暗黒の時代」と感じたのは第2次大戦中です。

戦時中は、スパイ行為と誤解される駅での写真撮影はご法度。駅でメモを取っていたファンがスパイに疑われたこともありました。

そんな時代に原さんが思い描いたのは、国境に関係なく日本や世界の車両が同じレールを走る理想郷の鉄道。原丈人館長は、「人々の豊かさや平和に資するため、原鉄道模型博物館はこれからも歩みを続けます」と語ります。

 

藤枝鉄道博会場の一コマ。オールド鉄ちゃんには説明不要の名車て、在来線時代の東京~大阪間を結んだ特急「こだま」。国鉄151系電車はボンネット特急として一世を風び。1959年には東海道新幹線開業に向けた高速走行試験が行われ、藤枝市内を含む東海道線で当時の狭軌(在来線)最高速の時速161㎞をマークしました

2020年以来6年ぶり、藤枝鉄道博の原さんの鉄道模型展では国鉄のEL(電気機関車)・EF58やSL・C51のほか、スイスやフランスのEL、アメリカのSLなど約60両の模型を公開。鉄道ファンならずとも一見の価値ありです。

本ブログは原信太郎さんの著書で、2024年に18年ぶりで再版された「スーパー鉄道模型 わが生涯道楽」(講談社)を一部参考にしました。

おまけのボートラ(ボーナストラック)画像。ブログ34の静鉄駿遠線廃線跡ルポで取り上げた飽波神社。パンダやくまモンに庶民感があふれます

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