ブログ21 【書き下ろし】  シリーズ「乗ったで降りたで静岡清水線」 日吉町駅 その2(2026年8月記)

書き下ろし
タイトルカット 今年7月の第73回「安倍川花火大会」(会場から2㎞ほど離れた自宅ベランダで撮影)

静岡鉄道静岡清水線の全駅完乗ルポ、始発の新静岡の次駅・日吉町の2回目です。

前回、いきなり駅周辺の紹介から入ってしまったので、ここでは少々時計を巻き戻して電車が新静岡を発車するところから再開しましょう。

新静岡~日吉町に踏切は3カ所。静岡清水線は全線複線です。最初と2番目の踏切の間に、上下線の線路をX形のポイントでつなぐ両渡り線(ダイヤモンドクロッシング)があります。新静岡で何番線に入るかによりますが、到着時または発車時のいずれかに反対側の線路に渡ることになります。

おしゃべりな静鉄電車!?

日吉町駅を発車する静鉄電車。駅東側には前回ブログで紹介した静岡環状線が走り、道路沿いに商店があります

新静岡~日吉町はわずか500mで、まさにあっという間。静岡清水線は全列車ワンマン運転で、車内放送は全自動。本ブログを書くのに調べてみたら、鉄道ファンの間では「静鉄の電車は黙ることを知らない」といわれたりするそうです。

確かに新静岡の発車時、行き先案内に続いて沿線の専門学校の案内放送(広告)が車内に流れます。すかさず日吉町の到着案内。電車はずっとおしゃべり。「電車が黙らない」のファン評もうなずけます。

鉄道の車内を見渡して感じる、都会と地方の違いを一くさり。都会の電車は中吊り、額面(網棚上)と〝紙のポスター広告〟が埋め尽くします。地方の電車、ポスターは数えるほどです。

最近は紙媒体以外に「トレインビジョン」などの映像広告も普及。初期の映像広告は「音のないテレビCM」で分かりにくかったのが、最近は鉄道用に工夫したクイズ形式もあって退屈させません。

静鉄電車に〝沈黙の時間〟が少ないのは、静岡市民や地元企業に鉄道の存在感が定着して、広告媒体として認識されるから。静鉄グループの広告会社の静鉄アド・パートナーズの営業力もスポンサー拡大に成果を挙げます。

地元の口コミ掲示板には「小さな駅で、朝夕は通勤通学客でにぎわいます。昼間は利用客が少なく、長く変わらない素朴なたたずまいの駅です」の書き込みが

フォトコンテストの作品募集中 

 後段の日吉町近隣の史跡案内に移る前に、静鉄から最近発信されたニュースリリース一題。現在「静鉄電車フォトコンテスト2026」の応募を受付中です。

募集テーマは「静岡鉄道で見つけた、彩る四季」。応募作品のうち入賞作を、来年の「静鉄電車カレンダー」に掲載するそうです。

最近の鉄道会社にとって、フォトコンテストと入賞作品のカレンダー掲載は利用促進策のある意味定番といえます。

私の考えるフォトコンの効能。中学や高校の鉄研(鉄道研究会)、夏休みに乗り鉄や撮り鉄する部員も多いのですが、鉄研には野球の甲子園や一般スポーツのインターハイ(高校総体)、音楽コンクールのような発表の場がなく、せっかく撮った力作も発表の場は基本的に仲間内で見せ合うだけです。

その点、フォトコンのような作品発表の場が鉄道会社の手で提供されるのはファンと社会をつなぐ点でも有意義。コンテストの募集締切は8月30日。本ブログでは紹介が遅くなったことをお詫びします。

コンテストの詳細は静鉄ホームページで。応募作品から最優秀賞(1点)、優秀賞(2点)、特別賞(3点)を選定。来年のカレンダーに使用するとともに、副賞として新静岡セノバの買い物券が贈られます。

人質時代の家康の世話役が眠る 

日吉町ラストは、前回ブログで予告した「玉桂山華陽院ぎょくけいざんけよういん」。静岡には元祖シニア移住のレジェンド・徳川家康ゆかりの史跡が多いのですが、華陽院もその一つです。

玉桂山華陽院。宗派は浄土宗で、現在は不明ですが「どうする家康」の放送当時はゆかりの史跡として、特製の御朱印も用意されたようです

家康(幼名・竹千代)は8~19歳の12年間、駿府で今川家の人質として暮らしました。この時に面倒をみたのが、祖母の源応尼げんおうに(出家後の名前で、法名〈戒名〉が華陽院、実名は於富の方です。生涯についてはよく分かっていません)です。3歳で母と生き別れた竹千代を親代わりに育てました。

華陽院は最初、智源院(読み方は不明ですが「ちげんいん」でしょうか)と呼ばれました。源応尼が亡くなると家康は盛大な法要を営み、その法名「華陽院殿玉桂慈仙大禅定尼」から、寺の名を「玉桂山華陽院府中寺」に改めたとされます。

もう少し静岡史をひも解けば、源応尼は竹千代の生母の母親。竹千代はこの寺の住職・智短和尚から学問を学んだそうです。

智短和尚の読み方はこちらも不明ですが、いかにも徳のありそうなお名前です。さらに、家康と側室との間に出来た娘・市姫が7歳で亡くなると、家康は祖母の眠るこの寺に葬りました。

江戸時代の華陽院の境内は広く、寺に面した近隣の東海道は「華陽院門前町」と呼ばれたそうです。

そんな家康の幼少期、2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」ではどう描かれていたのか。もちろんドラマは見ていたのですが、さすがに内容までは覚えていません。「どうするブロガー」!?

そんな由緒ある玉桂山華陽院、私は有名な史跡なのでエキチカに案内板があると思ったのですが、残念ながら何もなし。通りがかりの方、何人かに聞いてようやく分かりました。線路沿い、新静岡寄りの一角が寺院です。

折悪しく取材日の7月初めは、何かの工事で境内は立ち入り禁止。本堂には入れず、門の外から墓所を撮影しただけで早々に退散しました。

家康が駿府で、「働いて働いて働いて……だったよう」というのは前回ブログで触れました。しかし、壮絶な最期を遂げた織田信長、兄弟で活躍した豊臣秀吉(いずれも今年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」の影響大)に比べるといささか地味かも。

しかし、わずかの期間でも静岡で暮らすと、家康が街の形成や発展にかけがえない役割を果たしたことがよく理解できます。

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