
静鉄静岡清水線の全駅ルポ、シリーズ7回目は、始発の新静岡から3駅目の音羽町1回目です。前駅の日吉町との駅間は500m。車窓にはいかにも郊外電車らしい風景が広がります。
新静岡~日吉町~音羽町の所要時間は2分。発車すれば、それこそあっという間に到着します。駅舎はご覧の通り、比較的モダンなデザインです。
静鉄は2024年3月、駅直結の「静鉄音羽ビル」をリノベーション。その際に、駅舎も一部リニューアルしたようです。
駅周辺は日吉町と同じく住宅街。南東側に駅舎があり、複線の真ん中にホームがある1面2線の一般的な鉄道中間駅です。

開業時は「きよみず公園(前)」
音羽町駅の開業は1908年。日吉町と同時です。現在の駅名は、所在地の静岡市葵区音羽町から。当初は「きよみず公園前」でした。エキチカの清水寺に由来します。
きよみず公園前の駅名、私の持っている静岡県鉄道史では「きよみず公園」で、「前」はありません。いずれにしても、清水寺が地域のシンボルだった様子がうかがえます。
駅は時期不明ながら、きよみず公園(前)→公園前→音羽町と2度の改称を経て現在に至ります。駅近隣にはかつて火力発電所があり、発電に使う石炭を鉄道貨物で運んだとの記述もあります。
私はチェックを忘れましたが、発電所跡は現在、公園になっているそうです。
駅に隣接する、というより駅と一体化しているのが「静鉄音羽ビル」。静鉄の駅ビルで、1階には静鉄ストアの新業態、小型スーパーの「KITE-GO音羽町店」が店を構えます(次回ブログで紹介します)。

「きよみずさん」はなぜひらがな表記?
駅から清水寺まで歩きましょう。寺の本家は、もちろん“清水の舞台”でおなじみ、京都の清水寺です。
清水寺は京都が総本山。「きよみずでら」の読みで全国約80寺、漢字は同じで「せいすいじ」と読む寺院をあわせると、100寺を超えます。
京都の清水寺の正式名は「音羽山清水寺」。静岡の音羽町の町名も京都がルーツなのでしょう。ブログ18の「徳川家康は駿府の城下町づくりで、関西から多くの職人を呼び寄せた」に照らすと、本家・音羽山清水寺との関係が垣間みえます。
案内板によると、静岡の清水寺の建立は1559年(永禄2年)。時は戦国、織田信長が初めて京都に上洛した年で(大河ドラマ「豊臣兄弟!」ではチョイ前ですね)、家康の駿府シニア移住の50年ほど前です。
静岡市史に興味深い記載があります。清水寺を建立したのは今川義元。背後に山(多分、音羽山)をいただき、京都・東山の風景に似ることから「音羽山清水寺」と呼ばれるようになりました。
家康も清水寺を深く信仰。御本尊の千手観世音菩薩像を寄進し、たびたび参詣しました。
前ブログの駿府城台所門から清水寺までは距離にして1㎞ほど。「働いて働いて働いて……」の家康にとって、いい意味での息抜きになったのでしょう。
江戸時代以降、清水寺は「きよみずさん」と呼ばれ親しまれます。ところで、一つ気付いたのは旧駅名をはじめとする「きよみず」のひらがな表記。資料は見当たらなかったのですが、静岡のとなりまちは清水。清水寺と誤読されないよう、ひらがなで書いたのかもしれません。
ちなみに、清水の地名は「良質な水が豊富に湧き出ていた」という、そのまんまの由来。「きよみず」も同意です。
「しみずvsきよみず亅、地名や苗字はおそらく「しみず」が圧倒的多数。きよみずさんは鹿児島県をはじめ九州地区にいらっしゃるそうです。
拙宅のある葵区北部も同じですが、静岡市には北側から山が街にせり出している地形がいくつかみられます。静岡清水線は山裾を巻くように線路が敷かれ、中腹に清水寺と山裾の公園があります。
寺の山門には地元企業名のボード(とはいわないと思いますが、名称が不明なので)が取り付けられ、多くの信仰を集めているというより、清水寺が今も地域のシンボルであることが分かります。
きよみずさんは戦後に本格再興されたようで、現在の寺院や寺務所は昭和以降の建築。7月半ばの取材日は無人でひっそりしていました。境内はきれいに清掃され、静岡市民の皆さんの地域を大切にする心が感じられます。

〝舞台〟はないけれど静岡市街が眺望できます
本家・京都の清水寺といえば「清水の舞台」。静岡の清見寺は舞台こそありませんが、山の中腹に立てば静岡の街並みが見渡せます(「絶景」と呼ぶのは、チョイ苦しいかも)。
清水寺が年間で最もにぎわうのが7月9日の「四万八千功徳日」。もう一つ、「四万六千日」もあります。この日にお参りするとそれほど大きな功徳を得られるということです。
当日の清水寺、奉賛行列、大護摩法要、花火打ち上げなどでにぎわいます。
4万8000日は単純計算すると何と130年以上。一般に日本人は宗教心が希薄ともいわれますが、私は四万八千功徳日のような習わしを知るとき、宗教的合理性のようなものを感じてしまうのです。

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